K DUB SHINE(ケー ダブ シャイン)

[キングギドラ]

 
 
 
本名
 
各務貢太(かがみ こうた)
 
 
 
MCネームの由来
 
本名の各務貢太のイニシャルであるK.Kから来ている。
 
 
 
生年月日
 
1968年5月8日
 
 
 
出身地
 
東京都渋谷区
 
 
 
身長
 
160cm代後半か
 
 
 
伝説の三人組ヒップホップグループ、キングギドラのリーダー。
社会問題を扱うリリックから社会派ラッパーと言われる。
日本語でラップすることへの強いこだわりと固い韻が特徴。
日本語で韻を踏むというスタイルを確立に大きく貢献したMCの1人である。
 
 
 
東京都渋谷区に生まれ、母子家庭の環境で育つ。
 
幼少期は病弱で、入院と退院を繰り返す生活で、小学生になるまで生きられるかわからないと言われていた。
(自身のソロ楽曲「理由」でその過去に関して歌っている。)
 
その後渋谷区立松濤中学校に進学した。中学卒業後は町田市の私立高校へ入学したが、すぐに中退。
 
中退後、新聞社の交換留学制度でアメリカ合衆国フロリダ州の高校に留学した。
(故に英語が堪能である。)
 
1980年代半ば頃にヒップホップに出会い、その後、自身も英語でラップをするようになった。
アメリカ人の友人に「なぜ日本語でラップしないのか?」と聞かれ、それからは日本語によるラップを模索し、現在のスタイルを確立させた。
(現在では自身の楽曲「なんでそんなに」やキングギドラの楽曲「公開処刑」では英語を多用するラップを批判し、バイリンガルラップに対して否定的である。)
 
1993年、友人であったZEEBRAに自身の日本語によるラップを聴かせ、意気投合した二人はZEEBRAの幼馴染みであったDJ OASISを誘い
ヒップホップグループ、キングギドラを結成。K DUB SHINEはリーダーを務めた。
 
1995年にキングギドラがアルバム「空からの力」でデビューする。
 
1996年、日比谷野外音楽堂にて開催された今や伝説となっている「さんピンCAMP」に出演。ソロ曲も披露した。
また同年、キングギドラの活動を休止し、ソロ活動を開始した。
 
1997年にはアルバム「現在時刻」でソロメジャーデビューを果たす。
 
1998年には法務省主催の「社会を明るくする運動〜HIP HOPを見て聴いて〜」というイベントに参加。
 
2002年、活動休止していたキングギドラが再び活動を開始する。「ミュージックステーション」などにも登場。
「最終兵器」はオリコンチャート3位を獲得し、確かな支持を獲得する。
 
2003年には自身初となるソロベストアルバム「世界遺産」をリリース。
同年、ソニーミュージックレコーズに移籍する。
 
2006年にはDJ OASISと共にRadio Aktive Projectを始動する。
 
2008年映画版「デトロイト・メタル・シティ」にMC鬼刃(映画ではダイノジの大地が演じた)「フロムNYシティ」を提供する。
またアニメ版ではK DUB SHINE自身が声優を務めている。
 
2011年4月30日に、東北地方太平洋沖地震のチャリティーライブにキングギドラとして参加した。
 
2012年9月19日には東日本大震災を受けて制作されたソロシングル「沈まぬ太陽」をリリース。
シングルのリリースは約8年ぶりであった。
 
2014年3月19日にはK DUB SHINE + 宇多丸 feat.DELIによる「物騒な発想(まだ斬る!!)」がi Tunesで配信された。
フックをDELIが、トラックをJhett a.k.a. Yakkoが担当し、Aquariusの二人が参加することとなった。
共に日本語ラップの開拓者であり、スペースシャワーTVの「第三会議室」番組でも共演している
K DUB SHINEとRhymesterの宇多丸という社会派の二人ということもあり、
やはり痛烈な社会批判をした過激なリリックが話題となった。
 
Twitterではエゴサーチをして自分に対して好意的なツイートも批判的なツイートもリツイートすることで有名である。
 
 
 
DEV LARGE(デヴ ラージ)とのビーフ
 
2004年6月19日にBUDDHA BRANDのDEV LARGEらしき人物による「ULTIMATE LOVE SONG」という楽曲が
サイト上にアップされた。(この時点ではDEV LARGEの楽曲という確証はなかった。)
 
その三日後にDEV LARGEが出演したラジオ番組で「ULTIMATE LOVE SONG」を流した。
これでDEV LARGEの楽曲であると判明した。
 
同年6月29日にK DUB SHINEがアンサーソング「1 Three Some」をネット上で発表。
このアンサーソングは自身のアルバム「理由」のプロモーションもふまえたものであった。
 
同年7月1日にはDEV LARGEがアンサーソング「前略ケイダブ様」(これはK DUBの「1 Three Some」を流した上にDEVがラップしている。)、「ULTIMATE LOVE SONG pt. 2」を発表。
DEV LARGEはK DUB SHINEがプロモーション代わりにアンサーソングを発表した事が
癪に障るとして自身も「ULTIMATE LOVE SONG pt. 2」の終盤でプロデューサーのI-Deaのアルバムを告知した。
告知内容の中にはSEEDAやL-VOKALの名前も出てくる。
 
その後、K DUB SHINEはアンサーを返さず、ビーフは収まった。
結果として、このビーフに関わった全てのアーティストはプロモーションに成功した。
 
2013年、キエるマキュウのMAKI THE MAGICの死を機に両者は和解した。
 
この件に関してはRHYMESTERの宇多丸が詳しく語っている。
その内容によると、MAKI THE MAGIC追悼イベント前日か当日に二人は代々木上原でばったり遭遇し、K DUB SHINEはMAKI THE MAGICの死以来思うところがあったらしく、DEV LARGEに話しかけ、握手を交わし和解したようである。
またDEV LARGEはK DUB SHINEに誘われ、その追悼イベントにも参加し、
同じくBUDDHA BRANDのメンバーでキエるマキュウのメンバーでもあるCQとともに当初やる予定ではなかった「人間発電所」を披露した。
 
 
 

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